嫌われ者
嫌われ者
今をときめく嫌われ者、リーガルハイで堺雅人演じる非道弁護士・古御門研介。『嫌われ者の流儀』なんて本を出して嫌われ道を極めつつある嫌われ界のカリスマ堀江貴文。自身の嫌われ自虐とAKBの未来を応援する気持ちを合わせたセリフを残し卒業した、嫌われアイドル前田敦子。
嫌われ者の有名人はたくさんいるみたいだけど、人気とアンチは表裏一体?嫌われないようにビクビクしながら生活している一般人からすると、なんとも自由に生きているように見える嫌われ者たち。日頃言えないことをスカっと言い放ってくれるヒーローでもあるし、癪に障ることを平然と言うムカつくやつでもある。嫌われて得することなんてあるのかな?みんなから嫌われるってどんな気持ちなの?
スピーカー 小林京子(29歳/フリーライター)
嫌われ屋さん
嫌われる理由にもいろいろあるかと思いますが、ご自身のどんな所が原因で嫌われるんだと思いますか?
基本的にあんまり友達いないんですけど、数少ない友達も年々減っているんです。わたしといると精神的に良くないそうで。他人の立場や思いを読み取るという能力が欠如しているらしいです。まあとにかく他人を思いやる心が無いんですね。
思いやりは人間関係において大切ですか?
そうでしょう。人間は他者から認められることで自己を確立していく生き物なので、存在を無視するもしくは否定されるような行動をとり続けられることは精神上耐えられない。だからそういう人物からは遠ざかるという対処をせざるをえない訳です。必然的に嫌われて人が離れていくんですね。
そのような傾向はいつ頃からですか?幼少期?なにかきっかけとなる出来事などがあったんでしょうか。
昔からじゃないですかね。当たり前ですけど、わたしは全ての人間に嫌われてるわけではないです。誰にも嫌われていないという人はいないのと同じで全世界から嫌われてる人もいないですからね。でもなんか人よりちょっと嫌われやすいというか、嫌われることを何らかの支障と捉えず、人から嫌われやすいという1つの性質だと思っていただきたいですね。性格が明るいとか暗いとか、怒りっぽいとか恥ずかしがり屋みたいなものだと。嫌われ屋的なね。生業にするつもりはないですけど。
では性格として嫌われ者を捉えたとき、良い点としてどのようなことが挙げられますか?
他者に対して良い影響を与えることはできないんですが……。自身に対してだと、ストレスは溜まりにくいんじゃないんですかね。嫌われてるって基本的にマイナスだから、評価が落ちることを心配しすぎなくてすむ。人から良く思われ続けるのって大変でしょう。わたしはそういう努力を放棄してますから。
傍目に見てると、あはは~あのひとまたあんなこと言ってる~と面白かったりしますね。わざと嫌われるようなことしたり言ったりはしないんですかね。
そんなエンターテイメントみたいには考えてないです(笑)嫌われるの好きなんでしょうみたいに言われることが多いんですけど、別にそんなことはないです。
あ、嫌われるの好きなんじゃないんですね(笑)
どんなフェチだよ(笑)嫌われたら嫌われたで仕方ないというスタンスではありますが。第一そんなウケ狙いネタとして使い回すには燃費が悪すぎ。嫌われても気にしないと言ってるほどですから、わたしにとっては何でも無いように見えるかもしれませんが、実際嫌われるのって結構しんどいですからね。まず体力が要ります。嫌いなものは基本的に攻撃対象ですから、こっちは常に守り体制ですよ。全力の嫌いという思いはそれだけで武器です。ちょっと笑ってもらうために、いちいち嫌われてたら身体がもたないですよ。
現代社会は嫌い無法地帯
周囲からの評価を改善しようと思ったことはなかった?
そういう努力をしたこともあったかもしれないけど、遠い昔過ぎて忘れましたね。まず何度も言いますが100%他人から好かれることは不可能です。誰だって少なからず嫌われてます。人数だとかその度合いだとかは人それぞれですけどね。
この先も改善するつもりはない?
だって、特に何した訳でもなくても嫌われることなんて山ほどあるじゃないですか。アイドルは男と歩いてるだけで嫌われるし、夫はリビングでくつろいでただけで嫌われるし、B型ってだけで嫌われるし、ゴキブリやブラックバスなんて生きてるだけで嫌われる。他人に善くしたって悪くしたって、笑ったって怒ったって、静かにしたって騒いだって、やったってやらなくたって、嫌われるときは嫌われる。対策しようがありませんね。
ただ一般的にこういうことをしたら敬遠されるのでは、という良い悪いの指標はありますよね。モラルというか。あえてより嫌われなさそうな方を選択するという解決法もあったのでは?
わたしが言いたいのはまさに、その”良い悪い指標”のどちらを選択したところで、どうせ嫌われるということです。だいたいの物事は良いようにも悪いようにも捉えられますから。可哀想な人を助けることが道徳的には善いとされていますが、それは偽善ではないかなどと言い出す根性のねじ曲がった人間もいますからねー。世の中すべてのことが気に入らない岡崎京子漫画の主人公みたいな人間はたくさんいるんです。現代は嫌い嫌いであふれた嫌い無法地帯と化しています。
その嫌い無法地帯状態はいつまで続くんでしょう?なにか統治方法はないもんですかね。
別にそのこと自体に問題はないと思います。ただ”嫌い”の発散法に問題がありますね。
まず嫌なことはきちんと主張することです。そして主張とはそこに”主”がなければいけない。主張に一般論を織り交ぜて意見することはルール違反だと思います。『「みんなはこう言っている」「あの先生はこういう考えだ」だから、わたしの言ってることが正しい。』大衆意見であることだけが彼ら彼女らの唯一の武器なんですね。これが”嫌い”による無作為な攻撃につながります。道徳という剣をまとった正義、社会的制裁と考えているのでしょう。実際は「嫌い」という感情の屈曲した正当化にすぎません。
本来の”嫌い”とは?
”嫌い”とはもっと感覚的感情です。最も剥き出しの醜い幼稚な感情です。そうであって当然です。そのことをまず理解しないといけない。そして、感情は他者に主張する材料としてふさわしくないという考えを捨てなくてはいけない。指標や論理的根拠がなければ相手を負かすことができないと強く思い込むからこそ、何の価値もない数だけ勝負になる。自分の中にあるくだらない幼稚な”嫌い”という感情と向き合ってみましょう。その上で”嫌い”を”主張”することは何の問題もないと思います。
感情VS感情になると、収拾つかない痴話喧嘩になっちゃうじゃないですか(笑)
わたしは痴話喧嘩大好きですよ。今世界に足りないのは喧嘩ですね。嫌な気持ちなんて溜め込んでても何もいいことないですよ。ただ世の中にはストッパーとなる人が必要で、そういう人が大半じゃないと成り立たない。まあ、、、だからわたしの主張は矛盾してるんですけど(笑)そういう所も嫌われるんです。そういう人も必要だよ、わたしはならないけどね。みたいな
それは確かにムカつくなあ……
嫌われないように嫌われないようにギリギリのところでバランスをとって生きているのに、何も思わず自ら嫌われるようなことをしてる人間に目の前うろうろされたら腹立たしいでしょう。そういうことです。わたしは仲良くしたいんですけどね。ただでさえ嫌われるから、他人を極力嫌わないようにしてるんです。敵意悪意を直に受けて何も感じないというのは難しいですけど、少なくとも嫌わないように。
なるほど。嫌われない努力はしないけど、人を嫌わない努力はしてるんですね
まあ、そうです。今の所、特にプラス効果は起きてませんがね。